いままであかりはアルバイトが3ヶ月以上続いたことがなかった。耐えられないことが次々と襲ってくるからだ。高校生になってはじめてやったアルバイトはファミレスのキッチン担当だった。調理を教えるべきチーフが、ちっとも教えないくせに、あかりがうまく作れないと怒るのである。「田中さん、もういいです」って言われた瞬間、泣きながら家へ帰った。マニュアルを渡されて「はい、これ読んで、覚えてきて」、それで「作れ」と言われて作れるわけがない。そんなの無茶だ。
コンビニエンスストアや100円ショップのレジ係り、クリーニングの窓口などいくつかアルバイトをしたが、すぐに耐えられなくなって辞めた。
「バイトなんかしたくない」
とパパに相談すると、
「嫌なら辞めればいい」
とパパはやさしく言った。
パパとあかりの2人暮らしだった。ママはあかりが小学生のころ出ていった。パパは小さなデザイン会社の経営者なので、時間がある程度自由だった。あかりの弁当を作り、掃除や洗濯をして出勤した。夜もあかりに合わせて早く帰ってきてくれた。夕食もパパが作ってくれる。パパはあかりが寝たあとに自宅のパソコンで仕事をした。
そんなパパが3か月前に死んだ。会社の事務所で首を吊っていた。遺書はなかった。経営者がどれほど大変なのか、あかりには知るよしもなかった。
パパの姉、つまりあかりの伯母さんが司法解剖された遺体の受取りから葬儀まですべてやってくれた。
「広島の伯母ちゃんちに来るか? それともひとりで生きていくか?」
伯母さんはやさしく言ったが、あかりには閻魔大王の裁きのように聞こえた。天国へ行きたいか? それとも地獄へ行きたいか?
家のこともバイトもできない女子大生が、どうやって生きていけばいいのだろう。東京で生まれて東京で育ったあかりが、広島の伯母さんの家でうまくやっていけるわけがない。ひとりで生きていくのも、絶対に無理だ。どちらも天国には思えなかった。
さいわいパパの借金はなく、マンションのローンもなかった。しかし、大学を続けるとなると学費がかかる。生活費だって、マンションの管理費だって必要だ。どうする。
「何とか、1人でやってみます」
あかりは小さな声でそう言った。
「あかりちゃんも、もう子どもじゃないんじぇけえのう。どうにもいけんことになったら、すぐ連絡するんよ」
そう言って伯母さんは広島へ帰って行った。
強くなりたい。自分を変えたいとあかりは思った。
アルバイトを探す日々が続いた。あかりは採用されなかった。理由はわからない。ファーストフード店では「主婦のほうが戦力になるから」と言われた。ファストファッションのお店では「未経験者はいらない」と言われた。カラオケ店では「どうせ、すぐに辞めちゃうんでしょ」と言われた。まさかアルバイトの面接で落とされるなんて思いもしなかった。
インターネットで調べてみると、不景気でアルバイトの世界も買い手市場なのだそうだ。会社は、アルバイトといえども優秀でやる気のある人しか採用したくないし、経験があり意欲のある人材が正社員の道をあきらめてアルバイトに流れている。そんなところへ、やる気があるのかないのかわからない女子大生が行ったって、採用されるわけがないのだ。あかりは5社行って5社とも断られた。
道を断たれたとき、人は泣くのか笑うのか?
パパの真似をして「死ぬ」という選択肢もある。
もしも魂が目に見えたとしたら、そのときあかりの口から白い煙となって魂が抜け出ているのが見えただろう。そのときというのは、大学の食堂だった。食堂に人のいない午後3時ごろ、テーブルに牛乳を置き、パンを一口食べた瞬間、食べる気力さえなくなったのである。涙は出なかった。出たのは白い煙となったあかりの魂だった。
「どうしたのですか?」
と声をかけてきたのが孫正典だった。
「働かなきゃいけないのに、仕事がない」
夢遊病者のようなうつろな目をしてあかりは言った。
「なら、私のところで働けばいい。時給1,000円で雇いましょう」
冷静な機械のような声だった。
恥ずかしげもなく学生たちにチラシを配っていた孫正典が嫌だった。どんな仕事なのかもわからない。しかし、あかりは仕事を得たことが嬉しかった。まばたきを何度かすると頬に涙がこぼれ落ちた。なぜ孫正典があかりを雇ったのか、そのときは考えもしなかった。

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